最後の灯継ぎ
ヒトの生命は、よく炎に例えられる。
「命の灯火」なんてのはその最たる例だろう。
火というものは、美しい。
では火に例えられる人間の生命もまた美しいのだろうか。
おそらく、違う。
美しいのは、散る命だ。
命というのは、散るからこそ美しく思えるのだ。
では。
どうしようもなく無能で、怠惰で、臆病な人間の命だとしても。
どうしようもないほど、無価値な命だとしても。
どうしようもないほど、この世に生きる資格を有さない命だとしても。
散るというのならば、それは美しいのだろうか。
我々人は、あたかも薪をくべ火を灯し続けるように、日々を生きている。
だが、僕の薪はもう、薪としての役割を果たさない。
我々は、魂という薪を燃やし、生きている。
つまり、魂が薪に相応しければ相応しいほど、火は強くなり、
それは即ち、「善い人間」を形作るものとなる。
では、魂が薪に相応しくなければ?
火は陰り、魂は腐り落ちる。
火の中に、湿った薪を入れるようなものだ。
僕という火の運命は既に定まっている。
さぁ、最後の火継ぎを始めよう。
灯のためではなく、闇の為の火継ぎを。